TeaTown’s blog

持続可能な社会に向けた独り言

人工知能でなくなる仕事に関する雑感

人工知能(AI)[注]で仕事がなくなるという議論が盛んだ。確かに今後人工知能で出来る仕事は、それに置き換わっていくのは必然だと思う。ただ、人工知能でできる仕事とはどんなものなのかは、一般的には、なんでも出来てしまうかのようなはなはだ雑な議論になっていると思う。
 
人工知能で最近できるようになったことを単純化して言うと、文脈(自己の周辺状況)を入力として与えられたときに過去のデータから一番適していると思われるものを取り出してくるというタスクだ。一番良いという判断ができるということは、良さそうな解を順序付けて複数提示することもできる。かなりの人間がやってきた仕事の一部にこういうタスクがあるのは確かである。たとえば、弁護士のタスクには、膨大な過去の判例から対象ケースに類似しているものを複数見つけてくるということがあると聞く。医師の知識の重要なものの一部も類似のタスクだろう。そういうタスクは、いずれ人工知能に置き換えられるのは必然だ。なので、今自分がやっている仕事が全てそういう単純なタスクなのであれば、別の仕事を目指す必要があるだろう。
 
だが、人間がやっている仕事は、もっと複雑だ。例外的な対応をしたり、新しいことを考えたり、論理的ルール(会社の手順や規則や法律)に整合しているかを判断したり、倫理的に正しい判断かの吟味をしたり、矛盾する判断のどちらをどういう理由で選択するかを考えたり、人工知能が出せる解候補の上で行われる高度な判断や創造的タスクがまだ色々ある。そういう意味で、前述の弁護士や医師がすぐいなくなることは想定できない。ただ、こういうタスクもパターン化されてくると、いずれ人工知能がやることになる可能性が高いということは知っておくべきだ。
 
しかしながら、すぐにそうなるのは難しいだろう。社会が要請する価値観や時代の流れ的な大局観に基づく判断などには、明確な正しさを定義できないものが多く、そういう柔らかな判断は当分の間人間に委ねざるを得ない。また、人工知能には、事前にプログラムされた評価関数と過去のデータに基づいて演算を行っているだけであり、意図や意思を持って判断をするわけではない。ここが、最終的に人の判断との大きな違いであり、人間はこのような人間の最終判断に基づいた社会というものを必要とするだろう。
 
ただ、前述したように、パターン化された作業(仕事)がどんどん人工知能に置き換わっていくのは必然だ。そんな中、新士族というのが誕生することになると思う。人工知能に取って変わるタスクが沢山あるが、一方で人工知能はあくまでも機械あるいはプログラムであり、バグや誤動作や悪判断が種々あるはずだ。人工知能の出力を監視し問題がないことを判断する専門家がそれぞれの分野に必要となり、新たな士族の出現となりそうだ。仕事を人工知能に奪われた旧士族の人々がそのまま監視側の新士族に回れれば理想的かもしれないが、それでは人工知能の導入の意味はない。ある程度の数の既存の人がこの新職種に就くにとどまるだろう。
 
コンピューターが人の知的手作業の機械化をもたらし、インターネットが人の仕事における距離と時間の制約を下げたのに対し、人工知能は仕事の質に変革をもたらす(パターン化作業からの解放)ことになる。より高度で創造的で人の情動を意識したタスクにフォーカスしていくことになるだろう。そういう新しいタスクを見つけ出していくのは、人工知能にはできないタスクの典型である。
 
注:ちなみに、ここで人工知能(AI)とはいわゆる機械学習などの人工知能技術を用いて作られたITシステムのことを意味している。