TeaTown’s blog

持続可能な社会に向けた独り言

日本型企業制度の終焉

いよいよ日本型の企業に丸投げ(←多少誇張してます)の社会保障制度は破綻したと言っていいでしょう。

昨今話題の日本だけ給与が上がってないという問題。以下の記事など、いろいろなレポートが上がっています。先進国でここ二十年くらいで見て日本だけが給与が横ばいになっているのです。

www.aeonbank.co.jp

www3.nhk.or.jp

日本はもはや給与レベルの比較ではリッチでもなんでもなくむしろ貧乏な国というレベルになっていることを自覚すべきでしょう。

なぜこうなってしまったのかについて、様々な議論があります。その中でも有力なのが、社会保障を企業に丸投げしていると言っていい、日本の社会システムにあると考えています。

日本の企業は、一種の互助組織と言っていいでしょう。まるで江戸時代の藩のようなものと言えると思います。武士は一旦召し抱えられると、禄を保障されることで、その藩の存続維持のために生涯を捧げます。家老など出世するのは家柄で決まるので、普通の藩士はそんなことは考えません。仮にひどい仕打ちを受けても我慢して、引退までそつなく藩士としてのお勤めを全うできればいいのです。この藩を企業、武士を正社員、家柄を出身大学と考えると日本企業の姿と重なりませんか。

日本企業は高度経済成長の中、右肩上がりが常態の中で、人事施策を作ってきたと言えるでしょう。給与はいずれ自然に上がるので、若いうちは会社の仕事を覚える意味で安い給与で良く、良き構成員として和を乱さないように行動する。そこには年功以外の要素はあまりありません。スキルは主要な評価軸ではないのです。会社の発展・存続のため皆で一致団結して働くのが日本的企業の姿でした。

以前、ある有名上場企業の会長の講演を聞く機会がありましたが、人事施策で、「成果主義での処遇ではなかなかうまく行かない。人望とか人徳のような数値で表せないものも組織には必要となる」という趣旨のことをおっしゃってました。まさに、日本的経営そのものをおっしゃっていたと思います。

橘玲氏の『幸福の「資本」論』に、これを彷彿とさせる日本企業の人事制度の話がのっています。日本企業の採用方針は、組織に馴染むかどうかで決まるということです。企業存続のため、様々な仕事を和を持ってこなせる人を選んでいるわけです。その結果、ユニークな人材は集まらず、イノベーションも起きないという負のスパイラルに落ち込んだ結果が今なわけです。(ちなみに、この著作では、この日本的企業システムが、従業員のメンタル的な側面でも大問題を抱えていることを指摘しています。今回ここではそれには深入りしませんが、その点も含めて日本型企業システムは改革が必要です。一読をお勧めします。)

ただ、日本企業のこのシステムは、ある意味経済成長が続いている間は良かったのでしょう。標準的世帯(夫婦と子供二人)が生活をする上でのライフステージに応じた資金需要(結婚、子育て、マイホームの購入、高校・大学の教育費、子供の結婚資金、など)を、この日本型企業の年功的な昇給システムはある程度うまくカバーしていたわけです。なぜならこのライフステージの資金需要パターンは、能力ではなく年功で決まってくるのですから。

ですが、バブル崩壊後経済が停滞してからはこの仕組みの負の側面が優勢となっています。さらに、世界情勢の変化(グローバルな人材獲得競争など)についていけなくなってしまったのです。おそらく、江戸時代末期、ペリーの黒船が来たあたりの時代状況と似ているのではないでしょうか?ダイバーシティが欠如した集団による意思決定が時代遅れな判断の連発になってしまったというのは、日本企業のここ約二十年間の凋落に重なる気がします。

近年、やっと、この負の側面にフォーカスを当てた議論が色々出てきました。遅すぎたと思いますが、気が付いたのであれば、変革すべきです。

例えば、NHKの以下のスペシャル番組でも日本型企業の問題点が放映されました。

www3.nhk.or.jp

企業経営に行き詰まりつつある時に、政府と労組と企業の合意は、賃金より雇用を守ることだったようです。失業率の大幅な上昇を避けることはできたのでしょうが、その結果が約20年間給与が横ばいな貧乏国になってしまったということでしょう。

じゃ、給与を上げる方向に舵を切っておけば良かったのかというと、その当時の日本型企業の仕組みでは、結局それは実現できなかったのだと思います。橘氏の『幸福の「資本」論』によると、AI人材のように高給取りを雇おうとしても、社長より高い給与は出せないなど、従来の給与システムでは、ハイレベル人材を高給で雇うことは難しく、この旧来の人事システムから脱却しないと、リベラル化した知識社会で勝ち残ることはできないと分析しています。

もう一つの要因は、国のセーフティネットが機能していないことです。セーフティネットとして、生活保護、失業保険など存在はしますが、その受給の前後には様々な制約がありますし、審査基準にも問題点が指摘されています。更に、受給を恥だと思う風習もあるので、当然の権利として受給しようということになりません。

今後の日本の姿はどうあるべきでしょうか?国民のライフステージにおける資金需要対応を企業から国に戻す(本来こうあるべきでした)必要があると思います。企業からはその負担を取り除き、能力に応じて給与にメリハリを付けられる人事システムにすべきでしょう。そうでないと、国際競争を生き残れません。逆にいえば、今までの給与体系では、企業は早晩国際的競争の敗者になることはほぼ確定しているのです。もはや、互助会としての存在意義もなくなっていることに気がつくべきでしょう。こうして企業の給与システムが世界で競争力を取り戻すことができれば、自ずと給与が上がっていくことになります。

企業がこういう方向で変わると、労働市場流動性が上がり、転職や解雇が増えることになります。そこで政府の出番です。このような事態になっても最低限の生活は維持できるセーフティネットを機能するようにすべきです。生活保護を受ける基準や審査の改善が昔から言われています。失業保険などそのほかにも様々な制度はあります。ただ、考えて欲しいのですが、人には様々な環境・要因があります。この人は生活保護を受けるに相応しいかどうかを、行政がどうやって公平に決めることができるでしょうか?かならず、不公平だという声が上がったり、救えない人が出てきます。行政がどこかで線を引くので、恐らく不満が出なくなることはないでしょう。更にこのようなセーフティネットは、国民それぞれのライフステージでの資金需要もカバーできるものである必要があります。その意味で、児童手当など子育て向け支援金や補助金など出てきています。

こうして見てみると、様々な支援金・給付金の仕組みがあります。皆さんは、この多種多様の制度をちゃんと把握できてるでしょうか?本当は貰えたのに、そんな制度があるのは知らなかったとか、手続きが面倒すぎて自分にはできないとか、個々に、上で書いた生活保護の議論と類似の問題点を抱えています。恐らく、国民への情報の周知徹底というのは難しいでしょうし、基準をめぐる行政の恣意性をゼロにはできないでしょう。だとしたら、いっそ、全国民に等しくセーフティネットをかけるという仕組みが良さそうに思えませんか?そう、ベーシックインカムという議論がここで出てくると思います。私はベーシックインカムを肯定的に見ていますが、世間では様々な議論があることは承知しています。ただ、この日本を成長軌道に乗せるために労働市場流動性を高める必要があり、そのためにはセーフティネットへの信頼感と安心感を向上する必要があります。そこで、今、既存の複雑な社会保障の仕組みの小手先の改善ではなく、新しいベーシックインカムというセーフティネットの仕組みを真剣に検討する時期ではないかと思うのです。

追記:

今回のブログ記事では、給与という金銭的仕組みから論じてきましたが、日本社会は社会の閉塞性につながる問題を多数抱えています。パワハラ、セクハラ、モラハラなどのハラスメントが良い例でしょう。それらの問題の一面は、そういう状況からの離脱という選択をしずらい社会構造になっていることです。ベーシックインカムはそういう側面にも光を当てるものであり、様々な問題を改善する効果があると思います。