TeaTown’s blog

持続可能な社会に向けた独り言

脳は予測する機械である

今年になってジェフ・ホーキンス(Jeff Hawkins)の以下の2冊を読んでみた。脳の理論に関する書籍で、もちろん仮説がほとんどだが、かなり本質を捉えている気がする。

 

まず、脳は、過去の記憶から予測をするというのが基本機能だという仮説を展開している。大脳の新皮質は皮質コラムという基本機能の集積からなっていて、この基本機能たる皮質コラムは時系列入力信号から階層的にパターンを記憶し、頻出パターンを抽象的ないわゆる概念として記憶する仕組みらしい。また、同じ時系列パターンに対して多くの皮質コラムが反応し、一種の多数決的な反応をすることにより非常に複雑で柔軟な記憶システムになっているとのことだ。このように複雑な時系列パターンを文脈とともに記憶できるので、次に現れるパターンをうまく予測できる。これにより、脳は、過去に蓄積された時系列パターン(経験)から次(未来)を予測するという機能を持つに至ったということだ。

かなり単純化して書いたので、詳細は是非上の2冊を読んで欲しい。自分は年初に「1000の脳理論」を先に読んでたのだが、「考える脳...」を先に読むほうが順番としては良いと思う。

今まで、なんとなく、意識というのは何か特別な仕組みであり、現在の我々の科学知識の預かり知らぬ世界のものではないかと思っていたが、この一連の書籍を読んでみると、意識も脳の予測機能の産物であると言うことに頷いてしまう。意識というのは、過去の記憶に基づいて、自らが今ここにあり、次の予測ができることに他ならないようだ。

「考える脳...」は2004年頃に書かれたものであることにも驚く。この本で、将来音声認識と画像認識と自動運転ができるようになっていると書かれているが、自動運転以外はすでにできてしまった。自動運転も時間の問題だろう。皮質コラムの仕組みに基づいた予測できる記憶システムが、将来の知的機械であると書かれている。詳細は違うものの、現在の大規模言語モデルを生み出した深層機械学習はその入り口には立っているだろう。Stanford大学がfoundation modelという名前で大規模マルチモーダル機械学習モデルの研究を打ち出しているが、この方向の研究がまさにこのJeffの本に書かれている皮質コラムを用いた記憶機構を用いた知的機械になっていくのではないか。

また、Jeffはこういう知的機械が人間のようである必要はないと書いている。まったく賛同する。人間には、大脳皮質以外に爬虫類以来持っている旧脳があり、さらに物理的な体がある。これらが大脳皮質への入力であるセンサーと出力として動きを生み出すアクチュエーターとなっている。知的機械が同じ仕組みである必要はない。この本にも書いてあるが、全地球的なセンサーと繋がることで、人間にはできないレベルの知的機械となることができる。人間は、そういう人間スケールではできない知的機械を将来使うようになっていくのだろう。そういう意味で、本書は将来の人間社会を拡張する壮大な夢の設計図として見ることができるのではないだろうか。

実に刺激的な2冊であった。

電子本サービスの理想形 - Web3への入口として

Kindleなどの電子本サービスは、今や必須のサービスの一つとして認識されていると思います。私自身も相当前からのユーザーです。ただ、色々と現状のサービスには不満があるので、どうなるのが理想なのか、書いておきたいと思います。最後の方には、少し壮大な構想も含めて。

まず、現状のサービスへの不満点がいくつかあるのですが、その根本は、以下の点に集約されます。

 

電子本サービスは、 利用権にお金を払っており、所有権はない。

 

電子本サービスで購入したと思っているのはその本自体(すなわちその本の所有権)ではなく、そのサービスプラットホーム上でのその本の利用権(読書権)であるということです。

規約上そうなっているのはわかってますが、物理本と比べて、以下のことができません。これが大きな不満点です。

(1) 貸与 ... この本はためになるから家族にも読ませたいというときにちょっと貸すことができない。

(2) 管理 ... 個別のサービスでライブラリにコレクション機能があり管理できるものがある(*1)が、複数のサービスをまたがるとできない。物理本なら、自分の書棚にジャンルごとのスペースを設けて自分の観点で管理できます。

*1 Mac版リーダーだと個別でもできないのがほとんど。Kindle楽天KoboMac版だけ使えない。これはMacユーザーならではの不満ですが。

(1)は所有権がないので当然できないわけです。これを是とするなら、物理本と比べてもっと金額を安くすべきではないかと思います。これ良い本だから読んでみてと言って言われた人間が気軽に買えるようになるべきではないかと思うわけです。あるいは、期間限定で、特定の人に貸与できる仕組みを作るのでも良いと思います。これ、技術的になんの障壁もないですね。

個人的には、(1)について金額以外はまぁしょうがないかなと思わないこともないですが、一番問題だと思うのは(2)です。

複数のサービスを使っているのもあり、あの本はどのサービスで買ったかなと、複数サービスのリーダーを立ち上げて見比べることも結構でてきました。電子本の数が多くなってきて、Macだとコレクション機能が使えないリーダーソフトのせいで、いっそ複数の電子本サービスで分けて管理しようかと始めたのがある意味失敗ではあるのですが、とにかく、収拾がつかないような状態になりつつあります。

では、理想は、どういうものかというと、自分で(利用権を)購入した電子本の一覧を電子本サービスを跨って見たいということです。自分が買った電子本の一覧を見ることができるWeb上のサービス(インターフェース)で、コレクション機能などで管理ができるというのがあれば良いのです(*2)。これ、機能的には何も難しいものはありません。電子本サービスとそのサービス内での電子本を一意に指定できる電子本ID付与の方式を標準化すれば、簡単に作れるでしょう。問題は、すでに購入した自分の電子本の一覧を取得して、この電子本棚に登録する作業です。これは、電子本IDを標準化したら、各電子本サービスにAPIとして実装してもらうしかないです。なので、現状最大の障壁は、各電子本サービスがこういうAPIを実装してくれるかどうかです。あと、この電子本棚サービスから、直接リーダーを起動できると良いですよね。これもそういう起動の仕組みを各リーダーにサポートしてもらう必要があります。

*2 ブクログやReadeeなど電子本棚機能を備えたものがあるにはありますが、やはり、複数サービスの連携はできてないです。なので登録作業が現実的ではないというのが問題です。

ということで、電子本棚の要件は以下のようになります。

・自分で購入した電子本を管理できる機能。個人の裁量で作るジャンル分け。その他、購入日付、出版日付など書誌情報の属性でのソートの機能。

・電子本を選んでリーダーを起動できる機能。

・電子本サービスで購入すると、自動的に電子本棚にも追加される機能。

そして、各電子本サービス会社にサポートしてもらう必要があるのは、以下の機能となります。

・ユニークな電子本IDの導入

・ユーザーの購入した電子本IDの一覧を返す機能

・電子本IDの属性情報を返す機能

・指定された電子本を読むリーダーを起動する機能

電子本棚の物理本棚に比べた優位点は、検索やソート機能とほぼ無限の空間性にあると思います。さらに、その本を起点に検索するなどWebサービスとの連携もできます。

どうでしょう?皆さんも複数の電子本サービスに跨った自分の電子本を自分の視点で管理したくなりませんか?上記のように、そういう仕組みは技術的には何も難しいところはなく簡単に作れると思います。

 

Web3に向けて

 

こういう電子本棚サービスができたら、壁一面あるいはVRゴーグル越しの仮想空間に自分の購入した電子本の一覧を投影して、その時の気分に応じて電子本を選んで読んだりするというのを夢想しています。

で、思うのは、これって、本棚から始まるWeb3サービスとなりますよね。Web3サービスの入口コンテンツとして本棚というのは、とっつきやすくてとても良いのではないかと思います。上記で書いた電子本棚機能も、ブロックチェーンなどのWeb3の一連の技術でデザインできます。

そう考えると、最初に問題点として挙げた「所有権がない」という点も、Web3技術で解決できる可能性が出てきます。すでに、Gaudiyという会社がそういう構想を掲げているようです。

media.dglab.com

こういう将来像を考えると、電子本棚で始める仮想空間というのは、ビジネス的にもポータル性を備えたチャンスがあるのではないかと思います。

更に、将来の公的・私的を問わず図書館のあるべき姿もこういう形になっていくのではないかと考えます。

ということで、既存の電子本サービス各社もこういう視点で、各リーダーのライブラリ機能を見直してみてはどうでしょうか?

 

2023.06.08 追記

 

先日AppleからVision Proという新製品が発表されました。発表を見てすぐにこのブログ記事で提唱した電子本棚サービスをこのVision Pro内で使っている姿を想像してしまいました。将来、こういう電子本棚サービスが普通なものになっていると信じたいところです。

www.apple.com

生成AI(Generative AI)との付き合い方

生成AI (Generative AI)がいよいよ一般向けのインパクトを与える時代になってきたようだ。画像ならMidjourney、Stable DiffusionやDALL-E2、言語なら、ChatGPTやPerplexityが有名どころだ。

https://www.midjourney.com/

https://stablediffusionweb.com/

https://openai.com/blog/dall-e/

https://chat.openai.com/chat

https://www.perplexity.ai/

2022年には画像系生成AIが世間の注目を集め、2023年になって言語系生成AIがネットニュース界隈を席巻している。

これらの技術は、2010年頃から機械学習分野で発展してきた深層学習(Deep Learning)技術が大量のデータを元に大量のパラメーターの学習を行うことで従来とは次元の違う精度を叩き出す学習モデルを作ることができた帰結と言えるだろう。特に言語処理系の深層学習技術では、Transformerといわれる手法が出て飛躍的な精度向上が達成された。Transformerでは、Attentionモデル、位置エンコーディング、Query/Key/Valueモデルの活用など技術的特徴があるが、同時に学習に使うデータにアノテーションが必要ない(正解データが必要ない)という自己教師あり学習(Self-Supervised Learning or SSL)手法を活用したところが肝である。

この自己教師あり学習(SSL)とは、簡単に言えば、穴埋め問題を作るという手法である。大量のテキストデータ(コーパス)はインターネットから今や簡単に手に入る。自己教師あり学習以前の自然言語処理機械学習のためには、このコーパスに、ここは名詞、ここはbe動詞、この単語はここの単語に係っている(修飾している)、この単語の語義は3つあるうちのこれ、などの正解データを人が一々作る必要があり、大変なコストがかかっていた。また、この作業を複数の人で実施すると、人毎にちょっとずつ異なったアノテーションが付与され、整合性の問題が出ていた。SSLだと、元データの一部をマスクすることで穴埋め問題を作ることができ、それを用いてその穴埋め問題を解く機械学習モデルを学習する。なので、学習のための正解データを人手を介さずに無数に作成できるのが画期的なのである。これは、機械学習における一種のコペルニクス的転回と言えるのではないかと思う。容易に想像できると思うが、このSSL手法は自然言語処理だけではなく、画像や音声や時系列データなど、さまざまなタイプの機械学習タスクで応用できる訳である。(ChartGPTでは、人手のランキングを用いているので、完全に一切人手を介していないというわけではないが、従来的な一つ一つアノテーションを付けるような作業は必要なくなっている。)

生成系AIがやっていることは、あるタスク(ある機械学習モデル)において、次のステップの出力を生成し、それを連続的に実行しているということだ。例えば、ある質問に対する答えを生成するText-To-TextのAIは、質問を文脈として、その次に生成される最もらしい単語(や文)を連続的に生成しているということなのである。

ここまで生成系AIの技術的ポイントを見てきた。お分かりいただけただろうか。結局は大量データを用いた機械学習モデルに過ぎないのである。ということは、学習データに依存しているので、豊富に学習データが揃っている分野は良い結果が期待できるが、そうでない分野は良い結果は期待できないということだ。例えば、経済や政治などニュースで日々見かけるような分野は豊富なデータが揃っているので、良い結果が期待できる。しかし、非常にニッチなエリア(例えば、あまり有名ではないスポーツの選手の話題)では、良い結果は期待できないのはお分かりだろう。何せ、学習すべきデータが少ないのである。この「分野」を「言語」に置き換えれば、例えば、英語の情報源に関する回答より日本語の情報源に関す回答の良さは期待できないことが分かると思う。(こういう状況などをカバーすることを意図した転移学習という手法があることはあるが、データ量そのものの影響度はやはり大きいと言わざるを得ない。)

情報量以外の本質的な問題として、しょせん学習したデータに含まれてないことは回答できないということもある。さらに、誤りも当然含まれるということもある。なので、生成系AIの出力を鵜呑みにすることは大変危険であることは肝に銘じてもらいたい。レポートを作る時間がないからといって、ChatGPTやPerplexityの出力結果をそのまま提出してはいけないのは自明である。

世間ではこういう生成AIの危険性を指摘する記事が多数出ている。新しい技術が出てくると必ず繰り返される光景である。もちろん、そういう危険性に対しては、運用上・活用上の対策をきちんと施さなければならないが、既存産業を守るという方向性の規制をかけてはいけないと思う。過去には、イギリスで、馬車権益を守るため車の速度に制約をかけたRed Flag Actという例もある。このようなことをして進歩を止めることにならないようにしてほしい。

ja.wikipedia.org

では、生成AIというツールを手に入れた人類は今後これとどう付き合うかを考えるべきだろう。

少し、歴史的に俯瞰してみよう。AI(あるいは機械学習)が最初に人間のタスクに侵食したのは、分析(Analytics)の分野と言えるだろう。大量のデータを用いて様々な統計的分析などを容易にできるようになった。データサイエンティストという職業が生まれた訳である。近年出てきた生成AIは何をもたらしたのか。従来専門家が時間をかけて作っていたアウトプットである画像や文章を短時間で生成できるようにしたと言えるのではないか。これにより、画家・イラストレーターやレポート作成のオフィスワーカーがいらなくなるという話もでているが、そうはならないだろう。生成AIはツールなのである。表計算的タスクをするツールとしてExcelなどのソフトがあるのと同じだ。ビジネスにおいて表計算的なタスクはむしろ増えているのではないか。生成AIはツールなので、何パターンもアウトプットを従来より短時間で出すことができる。なので、生成AIを使い倒し、多くの出力を出してみて、使える部分をマージしたり、それらをベースに新たに考えたり、変なところを修正したりして、新たなアウトプットを生み出せばいいのである。これからの人間側に必要なスキルは、生成AIを使いこなし、吟味(真偽判定など)・修正・融合することになる。今後このスキルを、吟味(Scrutiny)・修正(Update)・融合(Fusion)の頭文字をとって、SUFと呼ぶことにする。多くのデータから帰納的に推論し何かのアウトプットを生み出すのはもはや人間ではAIには太刀打ちできないのだから、そこはツールとしてのAIに任せて、人間はSUFで頑張るのが一番である。

そういう意味で、SUF以外に人間がやるべきことがもう一つある。それは、新たなデータの創出である。AIは溜め込んだデータに基づくモデルしか作れないので、新たなデータを投入するのは人間の重要な役目になるだろう。そういう意味で、SUFによる新たなアウトプットの創出は、AIが必要なデータの創出という意味もあるのである。

 

日本型企業制度の終焉

いよいよ日本型の企業に丸投げ(←多少誇張してます)の社会保障制度は破綻したと言っていいでしょう。

昨今話題の日本だけ給与が上がってないという問題。以下の記事など、いろいろなレポートが上がっています。先進国でここ二十年くらいで見て日本だけが給与が横ばいになっているのです。

www.aeonbank.co.jp

www3.nhk.or.jp

日本はもはや給与レベルの比較ではリッチでもなんでもなくむしろ貧乏な国というレベルになっていることを自覚すべきでしょう。

なぜこうなってしまったのかについて、様々な議論があります。その中でも有力なのが、社会保障を企業に丸投げしていると言っていい、日本の社会システムにあると考えています。

日本の企業は、一種の互助組織と言っていいでしょう。まるで江戸時代の藩のようなものと言えると思います。武士は一旦召し抱えられると、禄を保障されることで、その藩の存続維持のために生涯を捧げます。家老など出世するのは家柄で決まるので、普通の藩士はそんなことは考えません。仮にひどい仕打ちを受けても我慢して、引退までそつなく藩士としてのお勤めを全うできればいいのです。この藩を企業、武士を正社員、家柄を出身大学と考えると日本企業の姿と重なりませんか。

日本企業は高度経済成長の中、右肩上がりが常態の中で、人事施策を作ってきたと言えるでしょう。給与はいずれ自然に上がるので、若いうちは会社の仕事を覚える意味で安い給与で良く、良き構成員として和を乱さないように行動する。そこには年功以外の要素はあまりありません。スキルは主要な評価軸ではないのです。会社の発展・存続のため皆で一致団結して働くのが日本的企業の姿でした。

以前、ある有名上場企業の会長の講演を聞く機会がありましたが、人事施策で、「成果主義での処遇ではなかなかうまく行かない。人望とか人徳のような数値で表せないものも組織には必要となる」という趣旨のことをおっしゃってました。まさに、日本的経営そのものをおっしゃっていたと思います。

橘玲氏の『幸福の「資本」論』に、これを彷彿とさせる日本企業の人事制度の話がのっています。日本企業の採用方針は、組織に馴染むかどうかで決まるということです。企業存続のため、様々な仕事を和を持ってこなせる人を選んでいるわけです。その結果、ユニークな人材は集まらず、イノベーションも起きないという負のスパイラルに落ち込んだ結果が今なわけです。(ちなみに、この著作では、この日本的企業システムが、従業員のメンタル的な側面でも大問題を抱えていることを指摘しています。今回ここではそれには深入りしませんが、その点も含めて日本型企業システムは改革が必要です。一読をお勧めします。)

ただ、日本企業のこのシステムは、ある意味経済成長が続いている間は良かったのでしょう。標準的世帯(夫婦と子供二人)が生活をする上でのライフステージに応じた資金需要(結婚、子育て、マイホームの購入、高校・大学の教育費、子供の結婚資金、など)を、この日本型企業の年功的な昇給システムはある程度うまくカバーしていたわけです。なぜならこのライフステージの資金需要パターンは、能力ではなく年功で決まってくるのですから。

ですが、バブル崩壊後経済が停滞してからはこの仕組みの負の側面が優勢となっています。さらに、世界情勢の変化(グローバルな人材獲得競争など)についていけなくなってしまったのです。おそらく、江戸時代末期、ペリーの黒船が来たあたりの時代状況と似ているのではないでしょうか?ダイバーシティが欠如した集団による意思決定が時代遅れな判断の連発になってしまったというのは、日本企業のここ約二十年間の凋落に重なる気がします。

近年、やっと、この負の側面にフォーカスを当てた議論が色々出てきました。遅すぎたと思いますが、気が付いたのであれば、変革すべきです。

例えば、NHKの以下のスペシャル番組でも日本型企業の問題点が放映されました。

www3.nhk.or.jp

企業経営に行き詰まりつつある時に、政府と労組と企業の合意は、賃金より雇用を守ることだったようです。失業率の大幅な上昇を避けることはできたのでしょうが、その結果が約20年間給与が横ばいな貧乏国になってしまったということでしょう。

じゃ、給与を上げる方向に舵を切っておけば良かったのかというと、その当時の日本型企業の仕組みでは、結局それは実現できなかったのだと思います。橘氏の『幸福の「資本」論』によると、AI人材のように高給取りを雇おうとしても、社長より高い給与は出せないなど、従来の給与システムでは、ハイレベル人材を高給で雇うことは難しく、この旧来の人事システムから脱却しないと、リベラル化した知識社会で勝ち残ることはできないと分析しています。

もう一つの要因は、国のセーフティネットが機能していないことです。セーフティネットとして、生活保護、失業保険など存在はしますが、その受給の前後には様々な制約がありますし、審査基準にも問題点が指摘されています。更に、受給を恥だと思う風習もあるので、当然の権利として受給しようということになりません。

今後の日本の姿はどうあるべきでしょうか?国民のライフステージにおける資金需要対応を企業から国に戻す(本来こうあるべきでした)必要があると思います。企業からはその負担を取り除き、能力に応じて給与にメリハリを付けられる人事システムにすべきでしょう。そうでないと、国際競争を生き残れません。逆にいえば、今までの給与体系では、企業は早晩国際的競争の敗者になることはほぼ確定しているのです。もはや、互助会としての存在意義もなくなっていることに気がつくべきでしょう。こうして企業の給与システムが世界で競争力を取り戻すことができれば、自ずと給与が上がっていくことになります。

企業がこういう方向で変わると、労働市場流動性が上がり、転職や解雇が増えることになります。そこで政府の出番です。このような事態になっても最低限の生活は維持できるセーフティネットを機能するようにすべきです。生活保護を受ける基準や審査の改善が昔から言われています。失業保険などそのほかにも様々な制度はあります。ただ、考えて欲しいのですが、人には様々な環境・要因があります。この人は生活保護を受けるに相応しいかどうかを、行政がどうやって公平に決めることができるでしょうか?かならず、不公平だという声が上がったり、救えない人が出てきます。行政がどこかで線を引くので、恐らく不満が出なくなることはないでしょう。更にこのようなセーフティネットは、国民それぞれのライフステージでの資金需要もカバーできるものである必要があります。その意味で、児童手当など子育て向け支援金や補助金など出てきています。

こうして見てみると、様々な支援金・給付金の仕組みがあります。皆さんは、この多種多様の制度をちゃんと把握できてるでしょうか?本当は貰えたのに、そんな制度があるのは知らなかったとか、手続きが面倒すぎて自分にはできないとか、個々に、上で書いた生活保護の議論と類似の問題点を抱えています。恐らく、国民への情報の周知徹底というのは難しいでしょうし、基準をめぐる行政の恣意性をゼロにはできないでしょう。だとしたら、いっそ、全国民に等しくセーフティネットをかけるという仕組みが良さそうに思えませんか?そう、ベーシックインカムという議論がここで出てくると思います。私はベーシックインカムを肯定的に見ていますが、世間では様々な議論があることは承知しています。ただ、この日本を成長軌道に乗せるために労働市場流動性を高める必要があり、そのためにはセーフティネットへの信頼感と安心感を向上する必要があります。そこで、今、既存の複雑な社会保障の仕組みの小手先の改善ではなく、新しいベーシックインカムというセーフティネットの仕組みを真剣に検討する時期ではないかと思うのです。

追記:

今回のブログ記事では、給与という金銭的仕組みから論じてきましたが、日本社会は社会の閉塞性につながる問題を多数抱えています。パワハラ、セクハラ、モラハラなどのハラスメントが良い例でしょう。それらの問題の一面は、そういう状況からの離脱という選択をしずらい社会構造になっていることです。ベーシックインカムはそういう側面にも光を当てるものであり、様々な問題を改善する効果があると思います。

 

AI翻訳革命 by 隅田英一郎

日本情報通信機構フェローの隅田氏の「AI翻訳革命」という本を読んでみました。

機械翻訳の研究の歴史は長く、1954年に米国のジョージタウン大学とIBMがロシア語から英語への機械翻訳システムを作ったのが始まりと言われています。冷戦の真っ最中で、敵国の情報を得るという軍事的な目的が背景にありました。ただ、当時のコンピューターと研究レベルでは十分な精度は出せず、のちにALPACレポートと呼ばれる「機械翻訳は難しい」という内容のレポートが出て研究は頓挫します。その後1980年前後にコンピューターの性能向上と人工知能研究の進展もあり、ルールベースの機械翻訳の研究が盛んになります。ルールベースというのは、文法規則に基づいた機械翻訳手法と考えていただくと良いでしょう。日本では第5世代コンピューターという国策プロジェクトもあった頃で、機械翻訳の研究も盛んに行われました。ただ、当時のルールを用いた人工知能研究のレベルでは、結局十分な性能を発揮できず、21世紀を迎える頃から人工知能冬の時代となり、機械翻訳研究も再び下火となります。そういう状況に変化をもたらしたのが、2010年前後から実用化されたDeep Learning(DL)です。DLを用いた自然言語処理の研究の進展により大量の翻訳ペアをデータとして学習する手法が次々と開発・改良され、現在のNeural Machine Translation (NMT)の時代を迎えました。実は、大量の翻訳例を元に翻訳を行うという手法は、元京都大学総長で日本における人工知能研究の大家であり、Mu Projectという国の機械翻訳プロジェクトをリードした長尾真教授が、1981年にNATOの会議で発表した「アナロジーに基づく機械翻訳」というアプローチが元祖と言えるでしょう。この本の筆者の隅田氏は、この長尾教授の提唱した手法をいち早く機械翻訳に取り入れた研究者でした。

さて、歴史の話はこのくらいにして、近年のNeural MTのレベルの向上には目を見張るものがあります。カジュアルな状況(誤訳が大損失に関わることがないような状況)での翻訳としては、相当使えるレベルに来たのは確かでしょう。

このレベルまで来ると、海外情報のロングテール(大勢に興味があるわけではない情報)を機械翻訳でカバーする(ロングテールじゃないところはプロの翻訳が提供されるので)ことで、日本と世界の情報格差の是正につながるのではないかという論点には頷きました。

さらに筆者の将来構想は、英語教育が必要なくなる世界に言及しています。この機械翻訳がカジュアル翻訳のエリアをほぼカバーできて、(ここは私の想像ですが)ヘッドセットなりに自動翻訳が埋め込まれるのが普通の世界となるとすると、例えば海外旅行に行くために語学学習をする必要もなくなりそうです。これ以外にもかなりのカジュアルな翻訳需要を機械翻訳で代替できるとすると、そもそも英語学習にこれだけの労力をかける必要がなくなるのではないかというのが筆者の論点です。これは、日本だけではなく、世界に当てはまるので、小学校くらいから大学そして会社に入っても延々とやっている英語学習へ費やす時間とコストがもし必要無くなったら(完全にゼロではないとしても、例えば、半減したら)、その時間とコストを別の活動にあてることができるわけで、これは日本ひいては世界の将来へのインパクトは結構大きいのではないかと思いました。

10年前に比べると雲泥の差にまで向上した機械翻訳を我々は上手に使っていく必要があると思います。個人や企業ひいては社会全体で機械翻訳技術を有効活用することで、上記のような状況を作り出し、社会をより良い方向に導くための活動に時間とコストを費やすことができたらと思います。

Carbon Cure - コンクリート業界の二酸化炭素削減の救世主か

カナダのベンチャーのCarbon Cureという会社は、コンクリート業界の二酸化炭素削減の救世主ではないかと思います。

www.carboncure.com

このCarbon Cureの技術は、液化した二酸化炭素をコンクリート製造時に噴霧することでCO2をコンクリート中に固定化することができるというものです。更に、こうしてできたコンクリートは強度が約10%アップするので、その分コンクリート使用量を削減できるところも利点です。以下の記事によると、1m3あたり15-20kgのCO2を削減できるとのことです。加えて、必要な装置が全て既存のものに後付けできるので、既存設備の改修のような余計なコストがかからないのも採用が容易なポイントだそうです。

www.tel.co.jp

このCO2を混ぜたコンクリートの更なる利点は、約1000年に渡ってCO2の保持ができる点です。森林は100年程度ですから、そのCO2の保持期間の長さは特筆すべきものでしょう。

このような観点から、この技術はこのコンクリート業界にとって必須なものだと言えるのではないでしょうか。

日本でいち早くこの技術を導入したのは、札幌にある會澤高圧コンクリート株式会社だそうです。今後日本でもこの技術の採用がどんどん増えることでしょう。

www.carboncure.net

 

MISSION ECONOMY by Mariana Mazzcato

マリアナ・マッツカートのミッション・エコノミーを読んでみました。

www.amazon.co.jp

これは、近年盛んになっている資本主義や民主主義など社会のあり方を再定義しようという一連の動き・アイディアの一つです。この本での主張は、政府がミッションを持ち社会の課題解決を共創によりリードすべきというものです。いわば、最近話題のパーパス経営の政府版のような意味合いかと思います。

今まで新自由主義の元で政府の役割は小さい方がよく、政府の仕事もどんどん民営化されてきました。政府の公共の仕事も競争の環境下に置くことでコスト削減され効率化されるというのが代表的な考え方でした。しかし、特に昨今のコロナ禍で政府の役割の重要さを考えたときに、いざ政府主導の大規模なオペレーションをしようとしても、それを外注することになり、かえってうまくいかず非効率なオペレーションになってしまったのは、日本だけではなく世界中で起こったことのようです。筆者は、政府による外注でコンサルだけが栄え、そのつけを納税者が背負っていると批判しています。

本書では、政府の大規模投資について、アポロ計画を例にあげて、その計画の採算だけをみるのではなく、その波及効果も加味して判断することが重要だと強調しています。4章の図2にアポロ計画とそその他の米国政府の支出額の比較がありますが、リーマンショックの際の支出の約1/4に過ぎない額だったようです(更に、戦争の巨大な支出に驚きますが)。そう考えるアポロ計画によりもたらされた新素材、コンピューターの小型化、ソフトウエアの概念、ナビゲーションシステム、プロジェクト管理(マトリックス型)手法、などなど、から波及した大量のイノベーションを考えるととても良い投資だったと言えます。要するに、政府が掲げるムーンショット的プロジェクトはそのプロジェクトだけの採算を考えて行うものではないということですね。逆に、その手のプロジェクトはそれだけの波及効果をもたらすような課題解決型のものである必要があるということになります。

現在世界は気候変動やSDGsなどの世界的な課題を多く抱えています。このような世界的な課題は企業の努力だけで解決できるものではなく、政府と企業とが共通の目標に向かってパートナーシップを形成して解決を図る必要があり、そのためのミッションを政府と企業で分かち合って統合的に実施するということが必要ということです。

他にも、政府が初期投資したものからの十分なリターンを得ていない(国民に還元されていない)ということをGoogleやTeslaへの助成金を例にあげて指摘しています。また、パテントプールやFAANGによるデジタルプラットフォームなどを例に公共財あるいはコモンズ的なものの管理の仕方についても提言し、市民参加型のオープンプラットフォームによる共創が重要だと指摘しています。

本書では、新しい社会の仕組みを考えるに際して、政府の役割の再定義・再認識は避けて通れないということを言いたいのだと思います。株主だけをみている企業だけではなく、公共の観点から国民の富の最大化を図るリーダーシップを取れるのは政府であるということですね。

そうなると、全地球規模でこれをどうやって進めるのかが次の課題でしょうか。国連によりSDGsやCOPなどの世界的なミッションが策定されていますが、各国にそれが降りて行ったときに各国の利害が表に出てきます。世界規模での調整をどのように行えるのかが、人類に課せられた課題だと思います。世界の経済体制や社会体制の再定義が自然と国際協調を促すものになるのが理想だと思います。